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二天一流兵法 について 高無宝良 

2014-08-15

Tag :

二天一流兵法

宮本武蔵は、今や世界でもっとも有名な剣豪の一人といって間違いないでしょう。
二天一流はその宮本武蔵が晩年に確立した剣術流派です。
二刀をよく用い、自由闊達な境地をもって戦うことを主眼とします。

二天一流は始祖宮本武蔵が肥後細川藩に伝え、いくつかの派に分かれながら現在まで
肥後で伝わっています。
当会で修練する二天一流は、山東派八代青木規矩男(号鉄心)師範の最高弟の一人、
故稲村清先生から教授されたものです。

この伝の二天一流には、他の青木先師の弟子筋の先生方のものと少し異なる特徴があります。
武術的にみて非常に奥の深いものですが、残念ながら教わった人は少なく、いま練習する人も
ごく少数です。
そのため、その貴重な教えを少しでも有志の方にお伝えしたく、先生のご長男(剣道師範)の了承の上で
修練をさせて頂いています。
青木先師から稲村先生に伝えられた教えを、できる限り本質的な形で残していきたいと思います。

<稲村清までの系譜>

初代 宮本武蔵藤原玄信
二代 寺尾求馬助信行(肥後藩士、これより肥後へ伝承)
三代 寺尾郷右衛門勝行
四代 吉田如雪正広
五代 山東彦左衛門清秀(楊心流柔術師範家)
六代 山東半兵衛清明
七代 山東新十郎清武
八代 青木規矩男久勝(昭和中興の祖、関口流抜刀術ほか諸武芸併伝)
九代 稲村清

<先師青木鉄心先生と稲村先生>

青木先生と稲村先生の関係、修業時代とその後の事ごとについて、稲村先生から伺ったお話を
書きとめておきます。
とはいえ青木先生はお弟子の数も多いので、それぞれに異なる伝聞、異説もあろうかと思います。
この聞書きも、青木先生にまつわる数あるうちの一つの貴重な証言とご理解ください。
また、これらの話は耳で聞いたもので、中には稲村先生や私達の記憶違いによる誤りも
あるかもしれません。
当時の事情に詳しい方がもしいらっしゃいましたら、ご指摘いただければ幸いです。


◎出会い、入門
稲村先生は、植民地時代の台湾で当時教員だった青木先生と出会い、修業を始められたそうです。
入門は十代の頃でした。
二天一流と関口流抜刀術を主として学び、時には槍術や大坪流の馬術も練習したそうです。
とくに空手は、吊るした生肉に貫手をして肉をつまみだせるほど鍛えられていたとか。
ただ、青木先生の修められていた古流泳法(八幡流?)の学習を奨められた時は、
「先生の泳法より私のクロールの方が速いから結構です」と断ってしまったそうです。
稲村先生には、私たちのお会いできた晩年にもどこかそんな率直狷介な雰囲気がありました。
若い稲村先生を青木先生も可愛がられていたのかもしれません。
この頃、主な稽古場は青木先生の自宅の庭だったようです。

◎戦後の修業時代
終戦後、中学校の教員として東京都府中市に居を定めた稲村先生のもとに、
しばらくして青木先生もやってこられました。
稲村先生は、青木先生のために隣家(隣の部屋?)を借り、知り合いの伝手で学校教員の
仕事も斡旋して差し上げたそうです。
このことからすると、戦後青木先生は東京にも住まいし、各地の門弟を訪れては
教授されていたものと思われます。
この頃(おそらく昭和三十年代)、NHKの「私の秘密」という番組に青木先生と稲村先生とで
出演し、お二人で二天一流の形を打たれています。
この映像はもしかしたら今もNHKのアーカイブスにあると思われますが、私達はまだ見られていません。
どなたか詳細をご存じの方がいらっしゃいましたらお教えください。

◎伝承を拒否、別離
このように、稲村先生は青木先生に親炙すること三十年近くに及びました。
青木先生が晩年になると、二天一流、関口流の道統を継ぐよう稲村先生に指示され、
伝来の書物や道具類も譲り渡そうとされたそうです。
それまでの親密さを考えれば不思議ではありません。
ところがこの時、稲村先生は「馬術や槍術など青木先生の諸武芸を修めるのには程遠いのに、
とてもそんな重役をお請けするわけにはいかない」として、これを断ってしまいました。
再三の要請にも固く辞したので、とうとう青木先生は激怒し、住いを引き払って
熊本に帰ってしまわれたのだそうです。
以来青木先生が亡くなるまで、お二人の関係は疎遠になってしまいました。

◎青木先生帰郷後
少し奇遇な話ですが、青木先生がまさに東京を引き払って熊本に帰る途中、
岐阜県の亀谷鎮先師(関口流抜刀術を現山田家に伝える)のもとに立ち寄り、
「じつは東京の弟子とかくかくの事があったので熊本に帰る」と話されていたという伝聞が、
亀谷先師の後継である山田家に伝わっています。

青木先生の帰郷後、稲村先生の知人に日体大の阿部先生という方がいて、
稲村先生に二天一流の教授を願い入れました。
この方はおそらく剣道の先生か何かだったと思われます。
稲村先生は「私などより、師が存命だからそちらをお訪ねなさい」といって青木先生を紹介されました。
阿部先生は列車に乗って熊本の青木先生のもとを訪れましたが、そのころすでに青木先生は
老齢のため、教授ができる状態ではありませんでした。
帰京した阿部先生からそのことを聞いた稲村先生は、ならば致し方なしと、
阿部先生と共同で二天一流の冊子を制作されたそうです。
その冊子についてもまだ実見の機会がありませんが、ご存知の方がおられましたら
お教えいただきたく存じます。

◎その後の稲村先生
この話からもわかるように、稲村先生は青木先生の帰郷後門戸は開かず、
阿部先生との冊子制作を除いていっさいの指導要請を拒絶されていました。
時おり噂を聞いた教授希望者が訪れても同様で、あまりの度重なる懇請に一度だけ写真撮影に
応じたことはあるとのお話でしたが、基本的にすべて門前払いされていたそうです。
私達がさるご縁から稲村先生に教えを受けられるようになった時、先生はすでに80歳に
なっておられました。
低い姿勢から激しい跳躍を行う関口流抜刀術の形は、もうできなくなっていました。
私達が直接教授していただいたのはわずか数年の間でしたが、その老齢を思わせぬ見事な動き、
含蓄ある口伝の数々は、記憶の中に鮮やかに残っています。

稲村先生の最晩年、伝承という役目をあれほど拒絶されていた心境は少し変化されていたようです。
青木先生制作の写真付き解説書(甲府武徳殿にて辻守弘医学博士を相手に青木先師が打太刀を演じているもの。写真撮影は稲村先生)を刷り直し、岐阜県で亀谷先師の伝を継いだ山田昌孝先生に会ってこう言われました。

「青木先生の二天一流をこの世に正しく残すべく、今教えている者たちにはこの冊子を渡そうと思っている。
ついてはあなたにも同じ青木先生の後継としてこれを託すので、今後を見守ってもらいたい」

<稲村伝二天一流の特徴>

青木鉄心先師は山東派の二天一流を広く弘流されたため、現在の後継者間でも少なからず動き方、
風格、流派体系に差異が見受けられます。

◎動き方の教え
稲村先生の二天一流の特徴は、一言でいえば「五輪書の記述に忠実である」ことといえます。
ただし稲村先生がことさらに五輪書の記述や用語を用いて説明されたことはなく、
五輪書に忠実たらんとするような意図はとくになかったようです。
ひとえに青木先生から伝承された武術としての内容が、結果的に五輪書の記述と違わぬものだったということでしょう。
歩みよう、太刀の運びようはあくまで自然で、滑らかでした。また以下のことは僻事として常々戒められていました。

●足幅を大股に開くこと。
●爪先立つこと(踵を上げること)。
●床を踏み鳴らすこと。
●腰を落としすぎること。
●必要以上に大きく半身になること。
●タメや力み、居着きを表すこと。

たとえば一刀の形一本目「指先」の場合、その要訣は「普通の歩み足でするすると出て止まらない、相手が打って来てもかわさずに真直ぐ出る、太刀の差し上げは道を訊かれて指さすように何気なく、相手を制しても意識は止まらない」といった具合でした。
全体に業も非常にシンプルで、淀みがなく、とかく静かな印象があります。
ただ、二刀の形の場合には「ずー、たぃん、へつ」という発声を行います。

◎流派体系と青木先師の名乗り
二天一流の形について、稲村先生は「青木先生の教えは一刀の十二本、二刀の五本だけだった」と仰っていました。
この形のことを他系統ではいま「勢法」と書いてセイホウなどと読むこともあるようです。
ただ、稲村先生がセイホウと呼んだり勢法という字を書かれているのを見たことはありません。
たんにカタと呼んでらっしゃいました。
前述の青木先生が制作された写真付き解説書にも、形と表記してあり勢法の字は見られません。

また、同冊子には青木先生の名乗りとして、二天一流八代目師範と記してあります。
稲村先生のお話、また稲村先生と同時期に師事していた岐阜県の相伝者亀谷鎮先生からの聞き伝えでは、青木先生は台湾時代から「肥後の二天一流、関口流に宗家などない、師範だけだ」と仰っていたそうです。
少なくとも両先生の師事されていた期間、青木先生は宗家という名乗りはされていなかったと思われます。

高無宝良 

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私自身は身体を使う競技者経験はありません。
アーティストやコーチングプロなどのマネージング、プロデュースを生業にしています。

プロフェッショナルを支えるプロフェッショナルの彼らの独自のノウハウは、ジャンルの枠を超えて物事の本質に一歩近づく気づきを得られるものかもしれません
2011.7.1

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